何も満たされるものはなく、ただガラクタまみれになるだけw
物というものはお金で買えます。
みんな物が欲しくてお金を欲しがりますが、お金を物に変えて、買ったところで何も得られるものはないでしょう。
物が手に入ったところで何も得られないのは中身のない物を手に入れたことと同じです。
まあ正直、ものなどに、なんの価値もないと言った方が良いでしょう。
素晴らしい楽器を手に入れました。
MODXと言います。
でも私が使っている機能はピアノのPCM音源のみw
使いこなせないw
まあ実際にFM音源はパソコンとセットで使うのがいいと思いますし、フルデジタルコントロールで使った方が面白い。
まあ正直、MODXにはパソコンみたいなものでフルコントロールしながら使えばかなり素晴らしいとは思いますが、それも結構面倒で音楽とはまったく異なることを勉強する必要があり、かなり宝の持ち腐れ状態です。
まあそんな感じでものなどみんなそんな感じになりますw
手に入れても使えないだけw
物に固執するのは虚無です。
仏教の虚無とは
https://blog.goo.ne.jp/honzouin/e/bd3dd8d0518e39eefbc5fcd146f9a946
しかし、物を買う、手に入れるとなぜか放置されて満足している。
それは物欲という固執、執着、欲望を満たされてしまい、欲望から解放されたことを意味する。
ということは、この欲望を満たせばいいだけになります。
買うことで、物欲という執着、固執から解放される。
この心の心理を満たすというか、解放を望んでいるだけなのかもしれません。
色々と考えてしまうが、実際に手に入ると全く異なっていたということもあるかも知れません。
そもそもの物に対する価値を自分で勝手に増幅させて、期待してしまう。
こうした物を買うことに固執、執着する生き方を変えるには、そうした欲求を持たない生き方をするにはどうすればいいのでしょうか?
物を入手するという固執、執着が無くなれば、お金というものへの固執も自然になくなり、お金そのものそれほど多くは不要となります。
仏教の教え「無明」
https://allabout.co.jp/gm/gc/474762/
気がついていないことが一番、まずい状態である。
まずは気がつくつことだそうです。
例えば、新製品が出ました。
今お気に入りで使っている製品が発売された場合
別に我慢する必要はないし、買うことができるなら別に買ってしまってもいいのですが、無理してまで買う必要性はありません。お金がないならまず不要な物でしょう。
そしてその新製品を買って何ができるかも考えて、買ったことでどういう変化が生まれるのか?ということまで考える必要があります。
全く買って放置するだけでは本当に意味ありませんので、そういうものは不用品になりますので、不用品リストを作って学習していくのもありだと思いますw
買うことで満たされるだけのものであれば、不用品です。
どうせ使いこなすためにはそれなりにかなりのことを勉強する必要性がある。
●私の不用品リスト(ある程度高性能なものが1つあれば十分)
私が買い続けてしまう物を考えておき、不用であるということに気がつく必要がある。
・楽器:これは本当に不用品ですw
現在、やっているのはコードとスケール練習のみwこれができれば良いだけなので、もうこれ以上の楽器は不用品です。
・パソコン:これも使っている機能はインターネットのみw
難しいことは一切していませんし、プログラミングもしていません。安いものでIchigojamベーシックなど色々と買ってみたところで放置されてしまいますw
本当に無駄なものと言えますw
・ゲーム機とゲームソフト:これもほぼやらずw
そしてロード時間が面倒なので、まあ遊びたいソフトのある任天堂ハードとXSSがあれば十分。まあゲームソフトも無駄なので、余計なゲームを買わないという意味でも、MSのXbox GamePassに再度加入して置きました。月額1100円で最新ゲームが遊べるならそれもありかと。
・オーディオ機器:これはそれほどではないが、本当に無駄な世界かとw
最近は自作基盤が売っているので、自作すればいいと思うが、自作の世界もある程度考えておく必要あり。
・自作電子工作:結局買っても放置されている。買って組み立てないプラモ状態w
買っても正直、使われない、使っていません。買うだけで満足している状態であれば、やはり不用品です。
正直、本当に不要なものばかり。
買ったとことで何も満たされませんが、買うことで執着から解放される。
これだけであれば、執着の代替品を探して買ってしまうのもありです。
しかし、放置されて終わりでしょうw
別にちょっとだけ便利になった程度で、あれば使われずに放置される可能性が高い。
本当にこの物への執着という煩悩を無くすことは難しいのですが、工夫して減らしていく、回避させていくという努力はできるので、それをしていくことも大切かと。
まずは無明に気がつくこと。
煩悩である執着、固着から解放を望むだけであるということを気がつき、回避させる方法を学び、少しでも賢く生きること。
難しいことですが、煩悩という執着の解放だけを求めていることに気がつくことです。
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