仏教とキリスト教では生きる意味の捉え方が違いますが、結果は同じです。
生きる目的、生きる意味を誰もが知りたいと思うことはあり、調べて、探すことでしょう。
私はトルストイの「人はなんで生きるか?」を読みまして、その後、キリスト教の教えに辿り着きました。
そして仏教と重ねるとやはり結果は同じところにたどり着きます。
仏教
https://1kara.tulip-k.jp/naruhodo/2018063170.html
https://www.nichiren.or.jp/buddhism/shaka/01.php
キリスト教
https://www.higashiyahata.info/topics/essay/live/632
https://www.rikasuki.jp/rika_no42/rika_no42.htm
仏教は、自分自身が正しく生きることを教えています。
キリスト教は、他人のために生きなさいと教えてくれています。
どうですか?
結果は同じことになります。
仏教はまずは自分を正し、キリスト教ではその結果を具体的に教えてくれています。
人のために生きるとはどういうことか。
これについて色々と考えてみましたが、普通に生きれていれば、人の役に立てるので、特に何かをする必要はありません。ただし、正しい生き方をしなければいけないと言っているのが仏教。しかし、色々とまわりくどいので、直接人のために生きるということを教えてくださっているのが、キリスト教です。
なので、別に人助けるために積極的に行動する必要はありません。
自分自身が正しい生活を送れば、それだけで人の助けになるということです。
そして輪廻で繋がっています。キリストは復活すると言われました。復活はキリストだけではなく、キリストが復活するのであれば、私たち自身も復活するわけです。輪廻ですね。
死んでもなお、人生は続くとされています。まさにその通りであれば、永遠に続く物語で自分自身をどう生きるか?になります。
人のために生きると言っても、生きるというために自分を投げ打って、人助けだけに生きる必要はありません。結果的に人のためになっていきます。そして別に今の時代ではなくても、時間は流れて、続いていきますので、結果的に人のためになるというものもあります。
そのためには自分の考え、我を通すということはあまりしない方がいいでしょう。とも具体的に仏教は教えてくれています。
我執ですね。
https://sousou-shiki.jp/glossary/14543/
仏教とキリスト教の教えは同じ、「自分自身が正しく生きることが人のために生きることになる。」わけです。
自分の考えは持たず、常にどうすれば正しくなっていくのか?これを考えればいいことになります。
しかし、正しく生きるのはなかなか難しいことですw
なんせ人間というものは我の塊ですからねw
そこを制して生きるというのもなかなか難しい。悟りの世界です。
完璧な人間はいないので、努力する。極力誤った生き方をしないように心がける。
それだけでも少しずつ道は正しい道へ軌道修正されていくので、小さなことからコツコツと、気がついたら正していくことを心がけて生きていこうと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿