小言を一つw
自分の可能性を閉ざしてしまっては意味がない。
暗記やら暗譜したものを弾いたところで手癖は出来ても、大して役に立たないと言って置きます。
コピー学習と言いますが・・・正直、役に立ったことはありませんし、またそれによって自分の技術が向上したや、良い演奏ができるようになったと満足したことはありませんw
コピーはコピー。
手癖を構築することは出来ても、コピーなのでなんか弾いても自分で興ざめ、毎回弾いて居ればやがては飽きてしまいますw
これが気持ち的に難しいところですw
まあ自分の可能性、才能、得意なこと、好きなこと、全てに置いてですが、すべての制約を無くした時に、自分の可能性が見えてきます。
そこには理屈も、コピーも、何もいらないのです。
自由に弾けば良いだけw
自分の心地のよさの追求、聴いたことが無いサウンドの探索、より前衛的な演奏、古典的な演奏というものはあるにせよ、好きに弾けば良いだけなので、別にとやかくそこに対しての理屈も不要w
毎日の特訓、カリキュラム。
理屈のがんじがらめw
究極的に、サブドミ、ドミナント、トニックすらまあ不要というか、後付けの説明にしか過ぎないと考えることの重要性。
そんなものすらすべてを自由に解き放ちましょう。
自分のやりたいように弾き、好きなサウンドを弾きましょう。
さすれば才能も伸びて行くに違いありませんw
とにかく自分の才能を殺してしまっては意味ありません。
そんなことをしても全く得るものは無しw
ものまね上手になりたかったらコピー学習を極めると良いと思いますw
コピーなんか程々で良いw
とにかく自分の弾きたいサウンドを耳で聴いて、心地よいものを拾い上げる。
それだけでいいと思いますw
しかし、まあそれらのサウンドはじつは過去に聞き覚えのあるサウンドですがw
0から無からは何も生まれませんし、やはりどこかで昔聴いたサウンドなのかもしれません。
それらをコピーというならば、そういうコピー学習と言うならばそれはウェルカムですw
とにかく理屈ではなく、耳と感性で弾き、自由に解き放った時に、才能は伸びって行きます。
頭で考えると楽しいのですが、音楽的にはどうかな~?と思いますw
才能を伸ばすための練習は、全ての束縛から自由になったフリーな状態で行うのが良いのですが、まあ全ての構築を無くすわけではありません。
理屈を念頭にもまた戦略ですが、才能が死んでしまうような理屈なら意味なしかな。
簡素化された瞬時対応できる合理的且つ実践的な理屈の構築とアウトプットが重要なので、まあ理屈も洗礼されたものを自分で選別して取り入れることは重要ですがw
その点を踏まえて、自由度の高いと言った方が良いのかも。
全てがフリーではありませんw
まあ理屈の構築ではありますが、そこを踏まえての自由、フリーですw
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